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ドアをノックするのは誰だ?

lovecity1021

「きいちゃん、絶対この方好きだと思うんだー!!」

と、わたしの一番のあまやかし隊長☆ひろみちゃんから連絡を貰ったのは、確か8月の終わり。

まだまだ湿気がむんむんしていた夜だった。

実は6月の末に階段から落ちて(ギャグ漫画か!!)尾骨を骨折し。

その後2カ月、ヨガの練習が満足にできずにいた。

ヨガの学びを始めた当初

「ヨガの良いところって何ですか?」

との問いに

「病気してても、ケガしてても。ベッドの上でもできるとこー!」

と、元気よく答えていたはずが。。。

実際、自分がケガしてみると思った以上に動けず、その不自由さにヤキモキし。

そんな自分の不甲斐なさにめっこり凹んでいた。

そんな最中の、ひろみちゃんからの連絡。

「おやおや、どんな方かな?」

と教えられたURLを開いてみると、穏やかな笑みをたたえた優しい顔立ちの女性のお写真とともに「クリシュナマチャリア師」のお名前が……。

ふと思い出した。

わたしが「コレいいなー」「気持ちいいなー」と思うヨガのクラス。

そのクラスの背景にはいつもちらちらっと師のお名前が見え隠れしていたことを。

そう言えば、師のお写真を飾っていたスタジオもあった。

そして、そのクラスに共通していたのはとても柔和な内容だった。

なにより

「 人がヨーガに合わせるのではなく、人にヨーガを合わせること 」

先生方が声を揃えて言っていた、この言葉。

それは、運動、スポーツ、ダンス……など。

おおよそ身体を動かすようなコトが不得手なわたしにはとても嬉しい言葉だった。

(走っては両足ねんざ、跳び箱から落ちて肩を脱臼、それが日常茶飯事な幼少期)

もしも、ヨガが「ヨガ体操」であったなら。

ポーズの美麗さを競う「競技」であったなら。

わたしはきっとヨガをやっていなかった。

だって、みんなと同じように上手にはできないから。

ヨガはスポーツではない、と教えてくださった先生方のクラスの背景には師の教えのエッセンスが含まれていたのかもしれない。

なんとなく感じた。

そこで。

ひろみちゃんが教えてくれた可愛らしい笑顔をたずさえた先生が開催するという「 クリシュナマチャリアの教え入門 」にさっそく申し込んだのが、9月の頭。

全4回のクラスは、今日3回目を終えた。

わたしの他にも、さまざまなバックグラウンドをもった方が2名参加されている。

少人数でじっくりと質疑応答に時間をかけてくれる、このクラスが、わたしは大好きだ。

その場所に着くまでの、道中も、好きだ。

渋谷を過ぎて、にょっきり地上に顔を出す東横線にゆらゆら揺られ、学びの場所にいく。

そのルーティーンが好きだ。

朝は早めに家を出て、クラスの前にお茶をして。ひと息ついて、よしっと気合いを入れて学びに向かう。

そのパターンが好きだ。

それが、もうあと1回しか残っていない。

哀しいなぁ残念だなぁもっと学びたいなぁ。

このクラスは4回で終わりだけど、わたしの学びはまだまだ途中だから。

ここで「いち抜けた!」ということは、ありえないのだけど。

やっぱり寂しいものは寂しい。

でも、この「もっとおべんきょしたい!」という気持ちこそ、微かに聞こえている「プルシャ(命の源・自分が本来何をしたいか知っているところ)が内側からノックしている音」なのかもしれない。

この音が聞こえるようになれて、良かった。

ひとみ


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